さてさて、どんな感じでしょうか?
俺は相変わらずですね。
んじゃー今回もいってみましょうか。
前回はノルマンコンクェストってあたりで終わりったからその先ね。
1071、セルジューク朝が、ビザンツ帝国を小アジアで破り、皇帝であるロマヌス4世を捕虜にした戦い。まぁ、これは結構マイナーですかね。ん、でも、戦いの名前くらいは聞いたことあると思いますが、マンジケルトの戦いです。これも十字軍の一員といわれてます。
ビザンツ帝国をここではおさえておきましょう。6Cのユスティニアヌス帝から。まぁ、彼はビザンツ帝国を再興させて、一時的に地中海世界を統一したことで有名ですね。
あと、聖ソフィア聖堂を建て、トリボニアヌスに「ローマ法大全」を編纂させました。あとは、アカデメイアを閉鎖したりもしました。これは、キリスト教(ギリシア正教)を国教とするのに絡んで、ギリシアの古典哲学は認められざるものですからね。まぁそういうことで、アカデメイアだめえええええええええええって、閉鎖したわけですよ。アカデメイア設立者が気になる人は自分で調べてみましょう。俺はそこまで書かんぞw
んで、7Cのヘラクレイオス1世、まぁ、この人はテマ制(軍管区制)と屯田兵制を採用したくらい知ってればいいでしょ。まぁ、この二つを施行すると、中央集権体制の根本原理が崩れるわけですが、そうもいってられなかったんですよね。そうまでしても、イスラームの防波堤にならなければ、いけなかったし。
さて、レオン3世(8C)ですが、ウマイヤ朝にコンスタンティノープルまで攻められてます。まぁ、無事撃退したわけですが、んで、やっぱりイスラームの影響で偶像だめーーーっていうわけで、製造禁止令を発布するわけです。そこでおこるのが聖像論争で、この論争が東西協会分裂の発端というか、契機となるわけです。
そのあと、マケドニア朝となり、繁栄しますが、セルジューク朝の圧迫により、11C後半あたりから、かなりアップアップです。んで、十字軍運動へと流れていくわけです。んで、原因のひとつである、戦いが今回のやつだよ。
十字軍を要請したのは、アレクシオス1世です。皮肉にも、その第4回十字軍で、かの有名なヴェネチア商人資金援助の下に、行われたのが、まぁ、コンスタンティノープル占拠なわけです。その間、ビザンツ帝国は一時、二ケーアに遷都します。
っていうか、逃げます。
んで、半世紀くらい耐え忍んだあと、再び、コンスタンティノープルを奪回します。
ビザンツ帝国も末期です。コンスタンティノープル陥落が間近になってくると、ほんとそのまわりをちょこっとしか領土がない!!!っていう、状態に陥ってます。んで、1453、ついに陥落。ご愁傷様でした。なんということか、1453は、次の英仏百年戦争の終結年でもあります。
っていうわけで、西ヨーロッパに戻りたいと思います。
1338(1339)〜1453の間、英仏の間で行われた戦争です。上述のとおり、百年戦争。
知ってのとおり、序盤はエドワード黒太子の長弓隊のおかげで、イギリス優勢。最後の最後に、ジャンヌ=ダルクのおかげでなんとかフランス軍が勝つっていうところですかね。んで、エドワード黒太子の戦ったのが、クレシーの戦いとポワティエの戦いです。あと、英国王ヘンリ5世が仏軍との戦いを、アザンクールの戦いとかいうぞ。まぁ、マイナーです。
はてさて、この戦争のあと、イングランドで起こるのがばら戦争だ。んまぁ、ランカスター家vsヨーク家で、結局はランカスター家系のヘンリ=テューダーが即位して、テューダー朝が始まるわけですよ。まぁ、イングランドはこの辺から、封建諸侯、騎士の没落により、王権が強化されてくわけであります。
955年、東フランク王国のオットーが、東方からやってきたマジャール人を撃退して、ローマ皇帝の冠をもらう原因となる戦いが、レッヒフェルトの戦いでありまする。
時のローマ皇帝はヨハネス12世ですので、こっちもしっかり押さえておきましょうか。オットー戴冠は962ですね。語呂合わせで、
苦労人のお父さん、いやーお迎え。とこれで成立から、滅亡の年までOK
~~~ ~~~~ ~~~~
962 オットー 1806
と、先走っちゃうと、ウィーン体制では神聖ローマ帝国は復活しませんので、しっかり覚えておきましょう。できるのはドイツ連邦ですので。そういうわけで、ナポレオン戦争真っ最中の1806ライン同盟の成立により、滅亡します。
1414から開かれた、コンスタンツ公会議において、ベーメンの大学教授であるフスが火刑に処せられたのに反発して、チェック人が起こしたのが、フス戦争です。このとき、イングランドのウィクリフも異端にされたのですが、確かこのときはもう死んでたような気がします。確か。まぁ、ウィクリフはこの会議にいかなかったから、どーでもいーんです。
コンスタンツ公会議関連でいくと、提唱者は神聖ローマ皇帝ジギスムント。原因は聖職者課税問題からおきた、フィリップ4世による、ボニファティウス8世監禁事件、いわゆるアナーニ事件です。で、教皇のバビロン捕囚から、大シスマになり、公会議が開かれたという経緯です。
ということで、中世ヨーロッパまでどかーんときました。
次回はアジアのほうへ回ってみたいと思います。


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