Kyp Durronの時と場合によって、ただつらつらといろんなことを書きとめておく備忘録。主に最近はライトノベルがメインジャンル。ほかにも政治からアニメ、秋葉なんでもあり。雑食です。ただいま、Ver.2.5r1展開中。

[再掲]第7回目。イスラム史続編(オスマントルコ)

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というわけで、ひさしぶりかな。まぁ、いいか。
大好評かどうかは知らないが、意外とアクセス解析とか見てると、世界史系のワードが出没するようになった気がする。
んまぁ、そんなのはいいとして、本日もいつもどおりいきたいとおもう。うん。
前回はイスラーム史を途中で終えたが、今回はオスマントルコをやってさっさとヨーロッパに戻ろうかと思う。まぁ、オスマンは結構、ヨーロッパと交流があるから、なんだかんだいって話にあがるかな。
前フリが長くなってきたから本題www

本日は、オスマン帝国で時代はムラト1世の時代でありまする。バルカン半島を制圧した戦い。これすなわちコソヴォの戦いだね。ぶっちゃっけ、超難関私大向けな感じがしないでもありませんが、知っているに越したことはありません。
若干、前回の第6回と時代が前後します。
ムラト1世は、バヤジット1世の前の国王で、これ以外特にありませんwww
で、バヤジット1世ですが。
13世紀は東欧の世紀と言われてた記憶があるんだが、まぁ、それも終わると。
脈絡内ですが、ハンガリー王ジギスムントに関係して東欧の世紀だけ言っておきたかったw
んまぁ、で、バヤジット1世vsジギスムントですが、ニコポリスの戦いといいます。1396年ですね。結構有名どころかな、と思うんですが、これで、ヨーロッパ連合軍に勝ちます。この後、バルカン半島方面へさらに影響力を伸ばそうとするのですが、前回やった、アンカラの戦いでバヤジット1世が捕虜になってしまいますので、中断と。

で、時代は一気に最盛期の国王。スレイマン1世でございます。彼は意外や意外、ヨーロッパとかなーり戦ってます。では、時系列ごとにおっていきましょうか。
まずは、ハンガリーを征服した戦い。1526年のことです。モハーチの戦いという。うん。で、次、かの有名な、1529年、第一次ウィーン包囲がおきますね。失敗しますが。ここで有名な話は、コーヒーが伝えられたということですかね。意外と入試でも問われたりすることがあるそうです。一応覚えておきましょう。トリビアでもないですが、結構知られた話になるのかな。世界史やってるならね。
あーで、次の戦い。スペイン艦隊が、ギリシア沖で敗れた戦い。これを知らない人は殴り飛ばします。えぇ。レパント海戦。年号は、1538年。そして、そのほぼ30年後の、1571年、スペイン、ヴェネチア、ローマ教皇の連合軍に負けるのが、プレヴェサの海戦であります。あーっと、最後のプレヴェサの海戦だけ、スレイマン1世のあとですので、注意しましょうか。

スレイマン1世。
まずは、第1次ウィーン包囲で、フランスのときの王、フランソワ1世に対してカピチュレーションを与えます。んまぁ、これは、神聖ローマ帝国のカール5世に対抗するためですね。で、ここで、聖地管理権がフランスになります。これはのちのち東方問題、っていうか、クリミア戦争だっけ、まぁ、その辺で、聖地管理権問題で戦争しますので、覚えておいてください。この時期に与えられたものです。

でだ、次はだな、バーブルだ、バーブル。一瞬、誰だっけかとか思ったくらいイスラーム史っていうか中央アジアやばいわけなんだが、今回はどうでもいい。うん。
まぁ、ムガル帝国の初代皇帝です。はい。
1526年、ロディー朝を破った戦いといえば、パーニパッドの戦いです。
で、ムガル帝国は、アクバルのジズヤ廃止、シャー=ジャハーンのタージマハル廟造営、アウラングゼーブで領土最大&ジズヤ復活。これだけあればいいっしょ。

よし、今日はこのくらいにしておこうか。
次は今度こそヨーロッパメインでちゃんとできるかな。
まぁ、オスマンは、ヨーロッパ側から書いてもよかったんですが、一応、イスラーム側から書いてみました。

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